稼ぐことと、幸せであることは、矛盾しない

私は長い間、お金を受け取ることが苦手でした。

正確に言えば、今もまだ、受け取ることにどこか抵抗を感じる自分がいます。それがどこから来るのかを辿っていくと、両親の姿に行き着きます。社会のために無償で働き、名前を残している両親。その生き方は美しく、尊いものに映っています。

でも、気づいたのです。私はその美しさを、少し美化しすぎていたかもしれない、と。

父は商社でキャリアを積み、出世頭と呼ばれるほど仕事に打ち込んだ人でした。その実績と経済的な土台があったからこそ、NPOの立て直しにも力を発揮できている。母もまた、父の後ろ盾があるからこそ、お金の心配をすることなく、自分の情熱に没頭することができている。

それなのに私は、その大切な部分をずっと見ていませんでした。ボランティアの素晴らしさ、無償で人に尽くす美しさ ——そこにだけ意識が向いていて、その活動を支えていた「稼ぐ力」や「経済的な安定」の存在を、なぜか切り離して考えていたのです。

「対価を受け取らずに人のために尽くすことが、本当の貢献だ」 ——いつの間にかそんな思い込みが、私の中に根を張っていました。だから稼ぐことに、どこか後ろめたさを感じ、お金をいただくたびに、「これでよかったのだろうか」という小さな疑問が、胸の隅に生まれていました。

同じような感覚を持つ女性に、これまで何人も出会ってきました。

「こんな金額をもらっていいのだろうか」「もっと安くした方がいいかな」「お金のことを考えるのは、なんだか品がない気がして」 ——そう話す彼女たちの表情は、どこか申し訳なさそうで、それでいて、本当はもっと堂々と生きたいという気持ちが滲んでいました。

目次

稼ぐことへの罪悪感の正体

稼ぐことへの罪悪感は、どこから来るのでしょうか。

一つには、日本社会に根強く残る「お金=汚いもの」という価値観があります。「清貧」という言葉が美徳とされ、お金を欲しがることは品がないとされてきた文化。その影響は、特に女性に色濃く残っている気がします。

もう一つは、「愛情や貢献は、無償であるべきだ」という思い込みです。人の役に立ちたい、誰かの力になりたい ——その純粋な気持ちと、対価を受け取ることが、なぜか相容れないものに感じられてしまう。

でも、本当にそうでしょうか。

受け取ることは、与えること

私が考えを変えるきっかけになったのは、一つの問いでした。

「あなたが受け取ることを拒否したとき、相手はどう感じるだろうか?」

お金を払いたいと思っている人がいる。その人はあなたの時間と知識と経験に、正当な価値を感じている。それを「いいえ、受け取れません」と断ることは、相手の判断を否定することでもある ——そう気づいたとき、何かがほぐれていく感覚がありました。

受け取ることは、与えることと同じくらい、大切な行為なのだと。

自分を満たすことが、誰かを満たすこと

稼ぐことと、幸せであることは、矛盾しません。

むしろ、経済的に安定しているからこそ、心に余裕が生まれます。余裕があるからこそ、誰かのために本当の意味で力を尽くせます。お金がないことへの不安を抱えながらでは、人に与えられるものも限られてしまいます。

飛行機の中でのアナウンスを思い出してください。「緊急時には、まずご自身が酸素マスクを着用してから、お子様をお助けください」 ——自分が満たされていなければ、他者を満たすことはできない。お金も同じです。

両親の生き方は本当の意味で美しい。稼ぐ力と、無償で人に尽くす心、その両方を持ち合わせていた。でも当時の私には、その大切な土台が見えていませんでした。無償で貢献することと、対価を受け取ること。どちらも、愛のある行為であっていい。

私はそう思えるようになってから、少しずつ、お金との関係が変わっていきました。

愛と美と豊かさをめぐらせて

「愛と美と豊かさをめぐらせて生きる」 ——これは、私がHapiLaに込めたビジョンの言葉です。

豊かさとは、お金だけではありません。時間の豊かさ、心の豊かさ、関係性の豊かさ。でもその中に、経済的な豊かさも、堂々と含まれていい。むしろ、それなしに本当の豊かさは成立しないとさえ思っています。

稼ぐことへの罪悪感を手放したとき、女性はもっと自由になれます。自分の価値を正当に受け取り、その力をさらに誰かのために使う。その循環の中に、幸せがある。

あなたが豊かになることは、あなたの周りにいる人たちも豊かにします。

稼ぐことと、幸せであることは、矛盾しない ——私は今、そう確信しています。

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